Murasato Yukiのプロフィール

はじめまして、ゆき(@pekooo_giraffe)と申します。

ブログについての想いやプロフィールの詳細をまとめています。

簡単な経緯

九州の田舎育ち
三人兄弟の末っ子
小学の時は校庭の木を描いた絵が全国の賞?をもらった。
中学の時はソフトテニスや漫画に夢中
高校の時は美術部なのに、理系クラス
(当然、クラスから文系の大学行ったのはわたしだけw物理を勉強したのにw)
大学進学を機に上京。
ストリートダンスサークルに夢中だった。
発症したら1ヶ月寝込むほどのメニエール病に悩まされる。
このままだとメニエール病で度々休んでしまったら働けないと思い、
大学4年になる前に早めに就活を終わらせて、人工内耳の手術を受ける。
九州(福岡)へ製造業の大手企業にUターン就職。
憧れていたグラフィックデザイナーを諦めきれず、2年も経たずに退職。
デザインの仕事をするために再び上京し、就職。
広告宣伝物を制作、編集、広報と幅広く2年ほど担当。
家族と自分の幸せを優先にするために2018年4月末に退職し、8年ぶりに九州の実家へ帰る。

サクッとまとめましたが、小さい頃から絵が好きだからなのか、いまではグラフィックデザインを仕事にしています。

ブログをやる理由

難聴の生きづらさを解消できるような、知恵・知識を共有したい。
ハンデがあるから、、コンプレックスだから、、、と可能性を閉ざしたくない。

自分の生まれ持ったもの、能力を最大限に活用するにはどうしたら良いのか?感じたこと、してきたことをて良いヒントになれたらと思い、ブログを立ち上げました。

 

18歳までは人より2倍頑張らなくちゃと思っていた

わたしは生まれつき両耳が聞こえません。
補聴器を付ければ、音の存在を感じるけど、何を言っているのか聞き取れない。
聞こえない子供が集まる、ろう学校というところは幼稚部の一年だけ発音の練習をしていました。
小学校から高校までずっと一般学校へ。

聞こえない故に、先生が言っていることが一部しか分からなくて、授業が終わった後にここはなんて説明していたの?って聞きにいくことがしょっちゅうでした。

耳から得る情報は限られているし、情報を得るのに人より遅れる。
その場で理解することができない。
自分から情報を取りに行かないと聞き取れなくてわからないことばかりの世界です。

だから、人より2倍頑張らないと人並みになれないと思っていました。
人に合わせていかなきゃ、人と違うことをすると浮く(すでに浮いていた部分があったけど)と恐れていて、かなり大人しかったです。

 

手話を覚えたことで人生が大きく変わる

大学で手話を覚えてから、ぽんぽんとスムーズに会話ができるようになってすごく楽しくなりました。
手話を覚えるのは大変だけど、こんなに神経張り詰めないで会話がわかるって凄い楽です。

同じ聴覚障害の仲間ができて、わたしだけじゃないと思える心強い存在ができました。
きっと誰かがやるだろうと他人任せだったわたしが自分からイベントの企画やったり、ストリートダンスをやったりと少しずつ主体的に、外向的に変わって行きました。
興味があればどんどん動き回っていました。

北欧やアメリカへの研修旅行で海外の手話を覚えてその国の文化や教育、観光、国際交流もしました。
日本の価値観がぶち壊しでとても刺激的な日々でした。
この経験が後々社会人になっても大きな影響を受けています。

本当に手話ひとつ覚えただけでこんなに変わるとは、と自分でもびっくりだけどこれが本来の自分なのかも。
本来の自分を解放した気分でした。

小中高の時は会話がついていけなくて耳が聞こえないことを理由に、他人任せばっかりでした。
周りの意見を聞き取れないし、自分の意見がすでに他の人が言ってしまうかもしれないから、言わないほうが無難と思っていたんです。
でも本当は全然そんなことなかったんだって手話を覚えたことで知りました。

いままで聞こえないわたしを変わらず話しかけてくれている大切な友達・先生・家族はわたしが聞き取りやすいように言葉を選んでくれたんだなあって。
言葉選びをしていたことは気づかなかったんです。
周りの人の優しさに気づけました。

手話を覚えたことで、聞こえる世界だけでなく聞こえない世界を知りました。
2つの世界を行ったり来たりできるようになり、2倍楽しめるので、覚えて良かったです。

 

社会の荒波に揉まれまくりの会社員

楽しかったことがあれば、辛かったこともあった大学生活を終えて、社会人になった時、再び内向的な自分に戻ってしまいました。

社会人になるまではバイトすら経験したこともなく、いきなり社会の荒波に飛び込みます。
当たり前だけど、職場に手話はありません。
わたしは口話(読唇術みたいなこと)ができるほうだったので適応できたけど、責任のある仕事だったのでプレッシャーが半端なかった。

相手が言っていたことは分かったけど、どこかで聞き漏れてしまっていないんじゃないか、分かっていたことが認識違いしてしまっていないんじゃないかというプレッシャーです。

だけどそこは、聞き取れるかもしれないけど、あえて確実に内容を把握できる筆談でお願いしたり、相手が言ったことを復唱したりと、お互い確実に伝わるやり方を心がけていると、職場の人から少しずつ信頼されるようになりました。

 

「手に職」を付ける仕事をしたい。

 

しかし、どうしても耳が聞こえないという超えられない壁を仕事でぶち当たります。
ゆっくり話してもらうことは1対1ならできても、多くの人が集まる社外の人との会議ではそうはいかない時が多く、話の内容がわからないのに会議に出席することがよくありました。

仕事の特性上やむを得ないことは頭で分かっていても、心では職場の人に対して『わたしが聞き取れなくてごめん、助けになれなくてごめん』という気持ちになるばかりでした。

その気持ちを職場の人に打ち明けたことがありましたが、気にしなくてもいい、他のところですごく助かっているよ。」と言われました。
少しでも力になれているんだと安心したけれど、

聞こえていたらもっと助けになったのかもしれない

なんて納得できない自分がいました。
そんな考え方していたら、不毛で、消耗するだけなのに。

さらに、
いつまでも聞こえる人に合わせて神経張り詰めて聞きとるようにしてこの先長い人生で頑張ってこれるんだろうか
もし発音できないほどわかりやすいくらい耳が聞こえない感じだったらやりやすくなるのでは?

なんてアホなことを考えていたりと、挫折感たっぷりでした。
その時は都会で一人暮らししていたので、田舎の実家、田んぼだらけの景色が恋しくてたまりませんでした。

周りに信頼されるとされるほど、聞こえない人と同じようにできない、フォローしきれないことに罪悪感を持つようになってしまいました。

 

もう、無理して周りに合わせて生きるのは止めよう

この経験をしてみて、自分を大事にできていない、自分に厳しくしずきたから
納得いかない、罪悪感を持ってしまっているのでは、といまになって思います。

周りに気にして合わせ続けると、いつの間にか自分の限界を超えてしまう。
できることがあっても、状況によってはできないことが出てくる。
自分のできること、できないことをはっきりさせて、受け入れる。

自分のことを見つめる時間がなさすぎて、自分を受け入れる余裕がなくなってしまいました。

自分を大事に、無理をしない生活、自分らしい働き方をする。

先が長い人生で、幸せに生きるのにいちばん大切ということを5年間の会社員として働いてみて気づきました。

 

障害あるなし関係なく、誰もがコンプレックスを持っているけれど、自分を大事にすることだけは意識してほしいです。
これから、自分らしく生きていけるためには何が必要なのか?何を考えたほうがいいのか?ブログを通じて伝え続けていきます。